防府市の美術情報

美術の歴史

 
むかしむかし、旧石器時代の頃、人類はほら穴に住み、木の実を取ったり魚や動物を捕まえたりして生活していた。
 今の生活からは想像できないが、コンビニもファミレスも自動販売機もビックマックも宅配ピザもなかった。つまり、お腹がすいたときに食べ物が必ずあるとは限らなかった。動物がたくさん捕れるときはいいのだが、とれないことも多かった。
  今日も動物が捕れなかったが明日こそ捕れますように、家族が飯をお腹いっぱい食べられる生活ができますように、と旧石器時代人も現代人と同じように、願いを持ったにちがいない。そこから祈りが生まれ、原始的な宗教が生まれた。彼らは狩猟生活をしていたのだから、おそらく家族単位で行動していた。そのため、家族ごとに祈りの対象は違ったであろう。ある家族は木に祈り、ある家族は山に祈ったであろう。家族の中には、骨や石を加工して人の形にし、祈ったであろう。またある家族は、たくさん動物がいる絵をほら穴に描き、それを祈ったかもしれない。

 

 こうして美術のはじめともいえる行為が、旧石器時代の人々によって行われた。骨や石の彫刻、ほら穴の壁画を祈ったことによって、狩りがうまくいった日もあったであろう。これらの積み重ねで、彫刻や壁画づくりに磨きがかかったかもしれない。

 

 美術は、もともと実用的な製作から始まったという人もいるが、私はそう思わない。実際に作品づくりに熱中した人ならわかるかもしれない。美術は、もともと人々の願いから始まり、人々の心を安らかにするという精神的な価値から始まった。目で見て、手でさわり、脳にその情報が伝えられて心が動く、それが美術であると思うからだ。

 

 旧石器時代の人々は、自分たちの願いを美術にたくした。石で彫られた女性像の中には、胸が大きくまるまる太ったものが多い。当時、美しい女性とは子供をたくさん産めて育てることのできる人であったのだ。おそらく当時の女性は、あんなに太っていなかったであろう。実際は飢え、ガリガリだったかもしれない。その点では、あれらの彫刻は本物そっくりではない。
 でも、あれらはそれでも、いや太っていたからこそ、当時の人に希望を与えたのだろう。